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肢体不自由児療育の父、高木憲次先生について
高木 憲次
【高木憲次 療育の理念】
(音声のみ 3分28秒 MP3)

高木憲次先生は二十三年九月の東京大学退職に当たって学生・職員向けての最終講義で「療育の理念」と題して冒頭次のように語っている。

「最終講義とて別に普段と変わった講義をせねばならないわけはない。又同僚から提案された骨関節レントゲン線検診の基準とか、あるいは関節鏡(日本整形外科が世界をリードする膝関節鏡の開発を指導:筆者注)とか、二、三の疾患を選ぶことも決して悪いこととは考えていないが、---実は大正十三年教授としての最初の講義が「整形外科学の定義と療護のあり方」についてであつたが、就中「凡そ療護のあり方は狭義の医療のみにて満足すべきでなく、すべからく社会的生存能力を獲得するまで尽くすべきである」と断じ、クリュッペルハイムの必要性とその法律制定を理想とする旨を述べ、爾来四半世紀その実現に腐心し、一時は主義者の疑いまでうけたが、幸いにもその甲斐あって、漸く此の四月から整形外科的疾患々児は、法律によって愛護され、療育されることになつたので、今日ここに最終講義として「療育の理念」と題し、締括りをつけたいと考えた。」

最後は次のように結んでいる。「医学の終局の目標は「医学の無用化」である・・・。クリュッペルハイム(肢体不自由児施設)も無用の長物たらしめるように、好きで選んだ医学の進歩に邁進されたい。

障害者自立支援法が施行され1年が経過した。肢体不自由児施設の存立が問われる時代となったが、今一度高い理想と大きな夢を描き追い求めた高木憲次先生の原点に戻り、今後のあり方を共に考え、療育の実践に取り組む必要があると考えている。


療育の理念
東京大学退職に当たっての最終講義
(昭和二十三年九月二十五日)
東京大学教授 高 木 憲 次

最終講義とて別に普段と変わった講義をせねばならないわけ はない。又同僚から提案された骨関節レントゲン線検診の基準とか、あるいは関節鏡とか、二、三の疾患を選ぶことも決して悪いこととは考えていないが、---実は大正十三年教授としての最初の講義が「整形外科学の定義と療護のあり方」についてであつたが、就中「凡そ療護のあり方は狭義の医療のみにて満足すべきでなく、すべからく社会的生存能力を獲得するまで尽くすべきである」と断じ、クリュッペルハイムの必要性とその法律制定を理想とする旨を述べ、爾来四半世紀その実現に腐心し、一時は主義者の疑いまでうけたが、幸いにもその甲斐あって、漸く此の四月から整形外科的疾患々児は、法律によって愛護され、療育されることになつたので、今日ここに最終講義として「療育の理念」と題し、締括りをつけたいと考えた。

さて一体、整形外科疾患々児だけを何故特に療育の対象としてこれを法律的に擁護する必要があるのか?

児童の救貧的愛護だけの事業ならば、その歴史は古い。外国でも我国でも乳児を養育したり、乳幼児を保育したり、被虐待児とか身寄りのない、上野の山を代表とする孤児とか、または、浮浪児を養護する事業とか、不良児を教導したり、精神薄弱児や、盲聾唖児を教護してやるという事業の如きは、幸にも既に全国到るところ普遍的に実施されている。

今般これら二大社会事業の実施が法律で護られることになると同時に、今日まで未だ社会事業の対象としては全然等閑に附されていたところの医療、療育を主とする事業が脚光を浴びて登場した。それが肢体不自由児療育事業である。即ち肢体不自由児の療育と、その施設の必要なることが法律で認められ、且つ、護られることになったのである。この児童憲章とも称すべき児童福祉法の第一章第一條に「すべて国民は児童が心身共に健かに生まれ且つ、育成されるように努めなければならない。」と制定されたし、これと第三十五條、第四十三條及第四十五條とを睨み合せれば、「國及都道府県は命令の定めるところにより、肢体不自由児を治療すると共に、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする肢体不自由児施設を設置しなければならない」ことになつたわけである。

将来整形外科疾患のうち、現段階にては治療不能なる児は、不治院に収容して養護してやるべきだし、治療可能なる肢体不自由児の療育には両親・医師・為政家・教育家・社会事業家ばかりでなく、すべての国民が皆この不自由な児の上を慮らねばならない。己の子のことばかりでなく、他人の子の上を念う隣人愛、人類愛から発した人としてなすべき務めとして尽くすべきである。況や医家たるものは、将来諸君が基礎医学者になろうと、あるいは臨床家になるにせよ、凡て将来は肢体不自由児の早期発見、早期治療のため、あるいは啓蒙に、あるいは療育のあり方につき国民を指導しなければならないのであるから、最終講義として「療育の理念」なる題を選ばざるを得ないのである。

たとえ両親は揃つていても、また経済的には別に不自由でなくても、その心身に不自由なところのある気の毒な児童のうち、
1 精神的疾患患児は、昔は放つといたら、こっちが危害を蒙るからと云うあまり良くない趣旨が主であつたが、とにかく既に古くから救護の手がのびていた。勿論現在の理念は全然その趣を異にしている。
2 身体的不自由児のうち盲聾唖は、みた目が如何にもいたいたしいので古くから療護や教導の辛が差し延ばされていた。

しかるに肢体不自由児は、他人に危害を輿える惧れもなし、みた目もそれ程傷た傷たしくないためか、往々
(1) 子供たちからは嘲弄されたり、眞似をされる。
(2) 大人からも大同小異である。あるいは寧ろ、迷信的に手足の疾を忌み嫌う。ナリンボ・カッタイでないかと臆断して、小児麻痺の患児に途中ですれ違うと眉をひそめて遠まわりする者が殊に心優しかるべき婦人にある。これが患児を反抗、諦念、自暴自棄に追い込むことになる。
(3) 両親からは、どんな扱いをつけるか。旧憲法下の所謂「家」のため家出を余儀なくさせられたり、それ程でなくとも、突然発熱し熱が下ったと安心したら麻痺を発見したという悲惨な小児麻痺も、初めのうちこそ医者よ薬よと、大騒ぎするが、そのうち諦めたり、または掛りつけのお医者様から見放されて非医者の手に移る。兄弟の結婚の話の度毎に、己のことが問題となっている気配を感附いたら、愕然己の存在が忌わしきものとなり、精神的障碍を惹起するに至るのである。
(4)医師からは如何なる処遇をうけているか。発熱期には、生物学的安全性を脅やかすことなしとせざるも、多くは診断不明のうちに熱は下るが、併し後に残る麻痺は社会生存の安全性を脅やかすので、最早貯金等の不労所得にては生きて行かれない今の世では、一層療育につとめなければならない。


麻痺性変形の予防

熱が下つたその時既に、所謂麻痺性変形が醸成され始めているのである。これ麻痺の程度が完全麻痺でない限り即ち多くの場合、屈筋と伸筋との間には必ず麻痺の程度に差がある筈であるから、日一日と麻痺の程度の軽かつた側の筋がだんだん漸進的に攣縮を起しつつあるからである。この時期は丁度親としては、命が助かつたのでホット一息をついたところであるが、医家たるものは絶対に、ここで安心してはならない。来たるべき変形惹起を予防すべき大切な時期なのである。しかし現実は熱が下ると共に自分も引き下つてしまうお医者さんが多い。医師が暗に注意を与えるのでなければ、親としてほ、子供が痛みも苦情も訴えないので、荏再日を送つて半歳一年も過ごせば、既に関節拘縮を惹起するので、形態の異常が人目につくようになる。もとはこんな姿ではなかつたのに、先生が「段々よくなる」といわれたので安心していたらこの姿、出た熱の下つた当座は神様のように思われていた先生も、今は恨の的である。加之愛児を一室に閉じこめたりする親がある。かかる隠匿が患児の精神を暗い方面に追い込む主因である。医家たるものは、熱が下つても麻痺筋の惰眠を許さず、不断に適度の刺激を加えたり、時に脊髄液の清浄化に努めたりする計りでなく、殊に麻痺筋とその桔抗筋との間の平衡状態を各例毎に、否各関節毎に分析攻究し、これによつて、近き将来惹起する虞れある形態異常の容相を、予想判断して予防対策の実施にとりかからなければならなかったのに「段々によくなる」と安心させたことが麻痺性変形をほしいままに跳梁させたのである。

A 予防の根本は平衡状態破綻の快復でなければならない。

単なる形態上の快復は一時的であるから機能的の平衡状態を快復するのでなければ所詮、形態異常を防止することはできない。今腱移植として、四頭肢筋麻痺に対して屈筋たる半腱様筋と二頭股筋の力を利用して伸筋として作用せしむる場合、吾人は如何なる心境にて如何なる処置を執るべきか!

B 目 的

勿論形態異常の予防に努めただけでは足りない。手術でも、薬でも物理的治療でも何でも凡ゆる所要の手段を尽くしたるのち、当該肢節の躾けに腐心し、これによって生業能力を獲得させることを目標とすべきである。

C 手段・手術の段階a

(1)いきなり、主要手術たる腱移植術を行うことはできない。準備虞置として(a)若し既に当該関節に、筋攣縮の他に、軟部位拘縮また強直あるいは脱臼の如きものが惹起されていた時は、まずこれを観血的あるいは非観血的に、これを整位・矯正して置かなくてはならない。(b)しかして「移植床」として受け入れ側の骨膜・腱と送力側の筋を強くすることに努める。

(2)主要手術たる腱移術は、以上の準備処置が整調されてからでなければ取り掛かることができない。

(3)手術が滞りなく済み、創が治っても未だ治療がおわつたわけではない。むしろ手術後の手当如何と患児の努力と環境の理解とによって運命が決まるのである。

(4) 安静期 手術野にて、送力筋として選定した筋の緊張度が適切なる程度にて縫合移植されたかどうかが手術の成否を決定する。従つて包帯も適切なる肢位を選んで固定せねばならない。手術後二、三週間は要安静期と称し移植(送力)腱が受床としつかり癒合するのに必要な時期である。されば若し、この期間中にただ一度なりとも、過伸延や肢位の変動を勝手に行うときは、もはやその手術全体が無効におちいって了うのである。

(5)遊戯的筋収縮練習期 安静期が過ぎれば、いわゆる狭義の後療法期に入るので、遅滞なく今度は筋収縮の練習にいそしまなくてはならないのであるが、ただ初めの三、四日位は、ごく弱い収縮即ち未だ関節運動を起すに至らない程度の軽微な筋収縮の練習であるからこれを遊戯的筋収縮練習期と呼称したい。

(6)関節運動練習期 つぎに本格的関節運動の訓練をなすときは、患児自身の意志命令によつて筋の能動的収縮及び弛緩の交代調節が瞬刻的に指南実施し得るように習得しなくてはならない。電気刺激による被動的収縮では不十分なのである。
殊に手術後、屈筋を伸展筋として使用するが如き場合には、能動的にこれをこなすだけの知能と努力とが必要である。

(7)防衛期 手術後半年位の間は、未だ新しき状勢に、筋と腱も骨膜もすべてが未だ順応・癒着していない。従って外力や過牽引等の作用することなきよう防衛方策を万端講じておかなくてはならない。

(8)再発予防期 手術後半年一年の間は、未だ機能的の平衡状態を完全に獲得したりと安心してしまわないで、つねに関節拘縮の惹起または再発に対する顧慮・予防策を怠つてはならない。

(9)肢体の職能的快復期(適職選定と職能授与)

以上にて一見Indicatio orthopaedicaとしては、満足したように考えられやすいが、事実は本疾患によつて生じた障碍が未だ全面的に取除かれていない。即ち患児は未だ社会生存の安全性を獲得していないのだから医師としては「療育」の目的を貫徹したとは呼称し得ない。少くとも整形外科的疾患においては社会生存の安全性を獲得または快復するところまで世話をせねば、手術や治療の目的を達したことにならないのである。一般的にも「健康とは、生物学的のみならず社会生存的にも安全なる状態」という定義でなければならないと考えている。

(a)他の疾患なら患児に義務教育を授ければまずそれで國としては、生業能力を付与したと称しうる。

(b)肢体不自由児に就いては、そのほかさらに手術をうけた肢節の機能快復が、少くとも適職として選定されたる職種を得するに足るだけの機能(肢体の職能と称せん)快復まで至らせてやらなければ、生業能力を獲得することができない。

1)そこでまず、吾人は各患児につき、よく本人の資性・環境・家庭の事情等を顧慮し乍ら主として罹患股節の機能恢復状態に適応するような職種を適職して選定してやる責務がある。

2)つぎにかくて選定したる適職を修得するのに不可欠なる肢体機能を発揮・鍛錬するために、手術後手工的あるいは手芸的の基礎訓練を指導しなければならない。これに反し職業そのものの指導は、当該職業の専門家が責任をもつべきである。かかる肢体の職能授与訓練は、手術・治療後の関節運動を精細巧妙ならしめる上に最適手段であるから、従つて将来工業的職業に就職する希望をぜんぜんもたない者にも、関節機能の基礎訓練として即ち治療として必要なのである。

(10)修正手術 如上の手術や手当をつくして得たる肢節の機能が、若しも職能訓練上不適応なることが判明したならば遅滞なく修正手術をなさねばならない。

(11)監督 屈筋を伸筋として作用させる時の違和感は本手術の欠点である。しかしそのため放置しておけば、無為萎縮を起してしまう。ただ子供は平気で屈筋を伸筋として使いこなす。

(12)集団訓練 整肢療護園等の療育施設にては、先輩患児が後輩を誘導するので無意識のうちに競争心をそそるので、能動的筋収縮訓練が自発的に励行され成績も従つて良好である。

(13)説示 普通は手術の模様をことこまやかに、患者や近親に説明せねばならぬ理はないのであるが、整形外科的手術においては、例えば適度の緊張度にて移植したる腱を、若し非医者にもみほぐされ、伸延してしまう様なことがあってはまことにもったいないことだが、しかし一半の責任は、手術の目的とその様相をあらかじめ十分説示・納得させておかなかった療育責任者の手落ちである。

(14)従って近親が少くとも手術の目的と様相とを理解しかつ辛抱強くなければ後療法を行うことができない。これが小児を引きとつて面倒をみてやることのできる療育施設内収容が緊要なるゆえんである。

(15)療育責任者側と保護者側とが患児とともに根気よく誠意をもって如上の療育方針を遵奉することによって手術の成果がそろそろあらわれてくる。

以上にてただ一つの関節に関する手術がすんだばかりである。通常麻痺のため歩けない場合には単数ではすまない。幾つかの関節あるいは両側の関節が同時に侵されている。いかに療育なるものが、長年月を要するものなるかということにつき首肯しうるのである。好きな途となれば菊の花でさえ工夫がいる、苦心がいる。諸君も好きで選んだ医学の途である。せいぜい苦心されるがよかろう。

とにかくあまり長年月を要するので、その間義務教育のことを疎そかにすることはできない。床側教育・林間教育・学習補助・養護学級等臨機の処置を心がけてやらないと治療を中途で中絶したりあるいは治療を断念したりすることになるので、療育施設内に教育機関が必要なのであつて、決して肢体不自由児に対して特殊教育が必要という意味ではない。肢体不自由症は、単なる身体的障得にして、精神的疾患ではない。しかし処遇如何によつては遂に反抗・諦念・自暴自棄等におちいるものもある。その予防法として世のすべての人々が「肢体不自由症は単なる身体的障碍にして胃腸疾患と大差なし」という考えに徹底すれば、近親も患児も隠匿する必要がなくなる。この隠匿の必要がなくなることが精神的障碍惹起に対する予防の根本である。


予防

治療の第一は予防である。教授就任の大正年代と現在とを比較して外来の数は、一八〇〇位から七〇〇〇以上に増加したが、しかし今日佝僂病性形態異常を殆どみない.骨関節の梅毒性疾患も激減した。基礎疾患たる佝僂病や梅毒の予防撲滅が予防の根本たることを指示するものである。骨関節結核は一進一退の状況だ。怪我は非常な数である。戦前の統計で東京都内一日平均一名宛自動車事故で死亡している。交通事故・工場災害・スポーツ外傷こそ予防可能なるものなのに事実は激増している。魔の踏切りは改善すべきであって迷信化すべきではない。

魔のベルト(調革)も実は工場の採光、照り返し、通路、埃と風、窓、服装について探求すれば答が出る。目下小学校児童に災害に関するポスターを作らせているのも予防の一つである。ましてや医家たるものは無関心であることは許されない。

大正十五年 二昔以上も前のことになるが、五種、十種競技の順位につき「槍投げの後で円盤を投げることにしたい」と提唱した。その理由は反対に円盤をさきにし槍を後にすると上腕骨に骨折を起す心配がある。若し折れれば必ずTorsions-frakturである。槍は予め極端な外旋位にして還って急激なる内旋運動をせねばならないが、円盤の方は急激な回旋の必要がないので捻転骨折の虞れはない。これ槍には回旋筋の収縮と弛緩との瞬刻的差の指南が必要なる故もしこれを誤れば捻転骨折を起すのは自明のことだ。文部省の小笠原局長がこれを取りあげて調査したところ、槍の選手が円盤をやると槍のレコードが落ちると。

それでは先天性疾患の予防は何うする。

これは断種以外には考えられない。唯療育の対象としての予防は可能である。例えば先天性股関節脱臼の予防はこれを早期に発見し早期に治療するときはまだ学齢に達せざるうちに、完全に治してしまうことのできる疾患である。即ちいわゆる療育の対象とならないうちに予防できると考える。ところが若し五、六歳迄に治寮をうける機会を得ないときは、一生不治のまま跛をひき遠途は不可能となる。

啓蒙。「早く探し出して早く治せば治る疾なのだ」と云うことを世に知らせる必要を痛感する。今月の初めに誕生した日本肢体不自由児協会の事業のうちの主なものとして、我国ではまだ啓蒙があげられる。すべて國民は己の修得せる良識を以て機会ある毎に隣人の為につくし合うのでこの社会が成り立つのであつて医人とは限らない。

以上の療育理念とこれを徹底させるためには、まず登録制と申告義務とを制定し、これによつて早期検診を可能ならしめることと、整形外科臨床、教育、職能授与の三機関が同時に機動しうるクリュッぺルハイムの必要なる所以を説いたのが大正十三年、教授としての第一声講義であつた(国家医学会雑誌参照)。ところが当時職業能力獲得なることを力説したことが労働者の味方をする主義、即ちいわゆる主義者と見なされた。某名士から、「争議の旗持ちの味方をする事業に社長として自分が賛意を表せるものかどうか」と。また某先生からは治療と教育とだけにしたらどうかと勧告をうけた。然しながら若し手術後の職能に努力してならぬことになれば手術をする意義がなくなるのであるから、これは絶対にゆずられない。 かくて当時誰一人高木の説を敢然支援するものなく孤立のまま昭和の世を迎えた。

ところが最初の救いの手は自分の教え子から伸ばされた。相和七年東大整形外科教室の全員は敢然象牙の塔を出た。そうして本郷、下谷三十万や大島に渡つて肢体不自由者の調査統計を遂行した。しかもカードによる机上調査でなく、探訪検診によつて漸く成果を得た。先脱を治さずに学齢となり跛のまま通学せるものが大学の御膝元とも称すべき本郷、下谷両区だけで二十六名を算した。しかもこの余りにも悲惨な事態を招来したのほ、両親の無智の為というよりも、「治らぬ疾なり」と匙を投げ両親を諦めさせた実地医家の整形外科的常識欠如の為だつた。

ここにおいて兼ねて療育のあり方に就き賛意、御鞭撻を頂いていたところの入澤達吉、長輿又郎両先生には、昭和九年日本医学会総会に際し「整形外科学の進歩の現状につき、まず実地医家の認識を深めることが先決であろう」との卓見から---御推薦を頂いた高木の「整形外科学の進歩とクリュッぺルハイム」なる学術講演が、当時新しき企てとして図らずも全国に中継放送されたために世の識者の関心を促すこととなり、翌十年直ちに日本肢体不自由者医治教護協合の設立となり、ついで財団法人日本肢体不自由者療護園(会長木戸幸一、 理事長高木憲次)により日本最初のクリュッぺルハイムたる整肢療護園(園長高木憲次)が板橋区根ノ上に誕生した。

次に法律制定の念願の方は、終戦後、昭和二十一年十二月十一日厚生大臣から中央社会事業委員曾にまいつた諮問に対し会として慎重審議を重ねた結果、児童福祉の問題は、基本となる法律を制定することが喫緊の要務であると決し法律案をつけて答申した。その法律案のなかに、肢体不自由児を治療するとともに独立自活に必要な知識と技能とを与えることを目的とする施設を、國及び都道府県は設置せねばならないという條文を織り込んだ。この答申が骨子となつてできあがつた法律がこの四月から全面的に実施されることになつた。政治的才能のない高木はただ誠意と熱意とだけで四半世紀、その間主義者の疑いをかけられたりしたが、幸にもここに悲願成り、これで日本の子供は貧富に拘らず、必要あらば、すべて整形外科的治療が受けられるのみならず、更に生業能力を獲得するまで指導愛護されることになつた。法第三十五条により國及び都道府県の他、市町村にも肢体不自由児施設が設置されることになるので相当数の施設設置が予想されるが、若しその運営なり施設があまり低調なものであるならそれは寧ろ無きにしかざることとなる故、目下法第四十五条により中央児童福祉委員会において施設の設備及び運営に関する最低基準を審議しているが、将来若しこの最低基準にさえ達しないお粗末なものは、その設立、存在を許されないことになるから、わが国肢体不自由児療育事業は、必や健全なる発達を遂げるものと期待しうる。しかしながら結局は、人の問題である。肢体不自由児のため、手術から最後の職能的訓練に至るまで、療育の理念に徹しつつ誠の心を以て全国に汎り相当数の整形外科医が関与するのでなければ、施設ばかり立派なものができても何等療育の目的を達することができない。

諸君においては、あるいは身を挺して本事業の指導的立場に立たるる方もあろう。また専門を問わず、すべて臨床医たるものは、療育の理念として常々単にいわゆる狭義の医療のみにて満足せず、更に進んでその人を癒すことに努力すべきであろう。

元来医学のための医学であつてはならない。医学の終局の目標は「医学の無用化」である。医学の進歩によつて、少くともこの世にお医者様の必要がなくなるようにと云うことを目標として諸君は医学の進歩のため尽くされたい。

さて諸君!高木は整形外科学の進歩のための肢体不自由児施設の全国的設置や、療育の理念を徹底させるために、これが法律化に努めた。しかし幸いにもその実現達成をみた。しかしながら諸君にはペニシリンによって幸いにも、メスなぞ振るわねばならぬ機会が少なくなったように、基礎医学の進歩に勉め、あるいは予防方策の進歩徹底に勉められ、かかる法律もクリュッペルハイムも無用の長物たらしめるように、好きで選んだ医学の進歩に邁進されたい。


(昭和23年12月1日 日本医師会雑誌<第22巻第11号>より)
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